死産の記録

2018年8月、20週で死産しました。赤ちゃんが確実にいた証と気持ちを残しておきたくて。

入院おぼえがき:2日目、2

お昼ごはんは処置のショックであまり食べられなかったので、差し入れに持ってきてもらった、ヨーグルトドリンクを飲む。あこちゃんのお洋服の刺繍をみながら、助産師さんとエンジェルプランや火葬についてまた話す。火葬は悩んだ結果、自分たちで手配することにした。病院で提携している葬儀屋さんにお願いすることもできたが、いろいろなブログを見ていると、自分たちでしている人がいて、とても満足されているようだったので、業者を入れるより、自分たちで出来るようであればその方が納得できるかもと思ったのだ。最初は、葬儀屋さんのプラン「病院で出棺、葬儀屋さんが火葬、遺骨を返してもらう」というのも考えたのだけど、母が大反対。絶対に火葬には立ち会うという。葬儀屋さんプランには立ち会う場合のプランもあるけれど、これはプラス10万円だったし、例え葬儀屋さんであっても、よその人に気を使いながら火葬は嫌かなとっと。ただ、夏なので、あかちゃんの身体をどうやって保管するか等悩んだ。葬儀屋さんの場合はドライアイスを用意してくれるとのことだったので、これは少し魅力的だった。結局この時点では、しばらく病院であずかってもらって、火葬の前に引き取りにくるのがいいかなと思っていた。

あこちゃんのお腹の滞在期間

あこがお腹に来たのは、たぶん私の誕生日直後。誕生日プレゼントだと思った。あこがお腹からいなくなったのは夫の誕生日前々日。私達は1才差の夫婦で、ともに34歳の時だけ、お腹にあこがいた。あこちゃん、2人の34歳の時間を一緒にすごしてくれてありがとう。

入院おぼえがき:2日目

 

朝から夫がきてくれて、一緒の朝ごはんを食べる。母がきてくれる。今日はお洋服や帽子やおくるみに刺繍をする。夫が字の下書きを書き、母に刺繍を頼む。私は痛さや緊張で調子が悪く、刺繍を見守る係。色等のみ口を出す。母ありがとう。夫は出勤。そうこうしているうちに、座薬を渡され、30分後に処置をうける。ラミナリア18本。これは、すごかった。あまりの痛さにおお泣きした。痛さでおお泣きするとは、、、抜くのも痛いし、入れるのも痛い。無理、痛い、もうやだ、もう入らないと連呼し泣く。悲惨だった。膣も処置で傷んでるし、内診もより痛く感じた。しかし、夜にもこの処置が待っている。なんということでしょう、、死産なのに、生きた赤ちゃんも会えないのに、この痛さ。この世の無情さを感じた。しかし、そうは言っても出産ハイ。なんとか頑張る。処置中はずっと助産師さんが声をかけてくれて、手を握ってくれる。この病院では、看護師さん兼助産師さんの人が何人かいるようで、私を担当してくれている人もそうだった。可愛くて優しい女の子で、いつでも優しく声をかけて気遣ってくれた。担当してくれる人がいるって、すごい安心感だった。しかし痛いものは痛い。処置が終わって、痛み止めの点滴をしている間、母に刺繍をお願いしながら、「ラミナリア」「痛い」を検索しまくる。

あかちゃんがぱぱとままにしてくれた

台風がきています。大雨ですが、夫が出勤した時間にはすこし小雨だったから、べちょべちょにはならなかったかな。

我が家の赤ちゃんの胎児名は「あこ」です。無事に生まれてきてきれたら、また違う名前をつけようと思っていたのですが、このまま「あこ」の名前で家族の一員です。私達のところにはじめてきてくれた赤ちゃん。ぱぱとままにさせてくれました。これからもあこのぱぱとままです。お骨であっても、家族が増えるって嬉しい。もう何も心配することなく、ただただ愛情のみを感じられる存在です。できれば、戸籍にも載って欲しかったのだけれどな。

入院おぼえがき:1日目、2

お昼まにはエンジェルプランという紙をもらい、赤ちゃんとしたいことを考える。へその緒が欲しいか、産んだ後赤ちゃんとすぐ会いたいか、旦那さんの立ちあいはどうするのかとか、うんでから病室で一緒にいたいかなど。この時点で、持ってきたお洋服を着せたいとお洋服をお披露目してお願いした。準備していてよかった!なにせ出産ハイなもので、産んでからのことは必要最低限でいいとか、へその緒とかもいらないのかなとも思っていたのだけれど、夜に夫と相談して、やっぱりできることはすべてしたいと思いなおした。助産師さんは何度でも時間の許す限りは、変更してもいいんですよと優しく声を掛けてくれた。あと、火葬についてもこの時点で確認があった。私達もまだ悩んでいたけれど、入院前や入院中にいろいろ調べて、葬儀屋さんには頼まずに、自分達で火葬することにした。

夕方、看護師さんがきて、座薬を渡される。あと、30分でまた処置室に、、、ここで、母が一度買い出し等のため外に。朝の座薬より強い効果のものをもらっていれた。担当の助産師さんに付き添ってもらって、処置室に。ラミナリアを抜いて、新たに8本いれる。抜くのも激痛。入れるのも激痛。内診も激痛。下半身は血みどろらしく、若干鉄の匂いもする。処置台の代えれるシートを交換してから立ち上がる。先生たちは、カーテン越しにいるけれど、時々カーテンをのぞいて、大丈夫ですかとかごめんねとか声をかけてもらう。朝より断然声がでる。隣にいてくれる助産師さんの手をにぎり、なんとか耐える。座薬入れてなかったら、もっと痛いってことなのかな、、そんなの耐えれるのかな、、てか、助産師さんいなかったから心折れてるな、この処置を受けている人はどうやって耐えているのかなと、もうろうとする頭で考える。

ふらふらになりながら、部屋に帰って、ふとんにもぐる。点滴用のプラスチック針を入れてもらって、麻酔の点滴をしてもらっているところに、仕事から直接来てくれた夫が到着。夫もどんな処置をするのか、まったく失念しており、点滴麻酔をしてもらう私の姿をみて、ショックを受ける。母も帰ってきて、夫の姿をみて、看病交代として1日目は帰っていった。

処置の痛みのショックながら、夕ご飯はちゃんと食べられた。夫も面会時間いっぱいまでいてくれた。まだここらへんも出産ハイで、産むことの方に集中力がいっているらしく、そこまで悲しさを感じていない。お腹をなでで、つるんと出ておいて、ラミナリア痛いよーと訴える。夫も、ママをあまり痛がらせず出ておいでとお腹をたくさんなでてくれて、まるで普通の分娩みたいだった。

ただ、食事については処置の痛みのショックとつわりのため、消化できていなかったらしく、夜10時くらいにがっつりはいた。はいたらすっきりして、寝れました。

この日、1人でいるときには、他の死産された方のブログ、ラミナリアについて、火葬について検索しまくりました。

 

火葬の前にしてよかったこと

おくるみ、洋服を準備する。

それらに刺繍する。(母にしてもらった。)

お伴のお人形(くま)を準備する。

遺体を入れるかごを準備する。

お腹の赤ちゃんと、私達とうつった笑顔の写真を入れる。

御朱印帳を入れる。

信頼できる助産師さんに赤ちゃんのことをしゃべったり、名前を呼んでもらったり、想いを共有してもらう。

家に連れて帰る。

写真をとる。

この家に連れてかえると写真をとるのは、ちょっと悩んだけれど、本当にしてよかった。見るとつらいけれど、ほっとする。本当にお腹の外に出てきてくれて、会えたんだと実感できるから。見るたび泣くけど。

 

入院おぼえがき:1日目

1、火曜日それに入れたいものをそろえて、一緒に持っていった。入院用のスリッパとか足りなさそうなものは、すべて病院のセブンイレブンにあった。

朝から処置。夫は仕事へ。赤ちゃんの火葬のことや、エンジェルプラン等のことばかり調べていて、処置は病院がなんとかしてくれるからと思っていたため、なにも気にしていなく、調べてもいなかったため驚いた。分娩と同じ用に産みますと、伝えられていたけれど、、すごい痛さだった。とりあえず、ラミナリアを入れる、内診をする、、初めて経験する痛さであった。取り合えず、1回目はラミナリア1本で、入院中担当してくれている助産師さんに手をつないでもらい、なんとか耐える。助産師さんは、声出してもいいですよとか、息をはいてくださいとか声をかけてくれて、本当に助かった。私を大事に思ってくれて、痛さに弱い夫には見せられない処置だった。内診もあまりの痛さにお尻が逃げて逃げて大変だった。処置後、これからどんどん本数を増やすことを伝えられ、耐えられないかもと恐怖を覚える。なので、座薬、点滴麻酔となるべく痛さを感じないものを導入するようお願いするが、これは処置中より処置後の痛さの軽減のためのようであった。1回目の後に座薬をもらい、(恥ずかしいので自分で入れた。痔の薬とかでなれているため問題無)、今後は処置前に座薬を入れ、処置後に麻酔点滴をしてもらうこととした。

処置から帰ってくると、母が来てくれていて、病院のスタバで差し入れを買ってくれていた。このころには、出産ハイだったようで、赤ちゃんを出さなければという思いでいっぱいすぎて、そこまで悲しさを感じることはなかった。お腹には赤ちゃんもまだいる安心感と、痛さの衝撃で精いっぱいでもあった。朝ごはんも、昼ごはんももりもり食べれた。母とも普通に会話して、赤ちゃんのお洋服用の刺繍糸や、夜にくる夫のご飯の買い出し等をお願いした。個室での入院だったので、比較的自由に出来た。本当に個室にしてもらって良かった。個室料は結構高価だったけれど、夫が最初から個室にしてもらうよう言ってくれて、今でも大部屋だったらと思うと恐怖。他の妊婦さんと一緒になるなんて耐えられないし、よその人に気をつかってすごす精神状態ではまったくないし、大部屋は無理すぎると思う。個室にいても、外から赤ちゃんの声とかするけど、それは大丈夫で、可愛いなと思っていた。そして、そう思えることで、まだ私は大丈夫なんだなと安心もした。