死産の記録

2018年8月、20週で死産しました。赤ちゃんが確実にいた証と気持ちを残しておきたくて。

入院おぼえがき:2日目、3

午後は、足浴や頭を洗ってもらう。足浴は担当の助産師さんがしてくれた。助産師さんが、明日は夜勤なのだという。なんと、、!明日はあの処置室での痛さをどうやって、耐えればいいのか、、そして、お腹をなでてくれながら、明日の夜出てきたらいいね、そしたら立ち会えるんだけどなとあこちゃんに話しかけてくれる。実はこの助産師さんは、私達のあかちゃんの名前が「あこ」であると初めて教えた人でもある。胎児名だったので、順調な時は誰にも教えるきはなかったのだが、夫と私しか知らない名前を入院中にお披露目したのだ。足欲はアロマをいれてくれて気持ちよく、他の看護師さんに頭を洗ってもらって、髪の毛まで乾かしてもらった。

夕方、また座薬をもらって入れる。30分後に処置室。これが、最大に痛かった。朝よりおお泣き。痛さでこんなに泣けるとは、、ラミナリア18本を抜き、26本入れる。休憩をはさみながら、耐える。あんなに痛かったはずのに、1週間後の今は、どんな痛みだったか正確には思い出せない。痛さって忘れるんだな。痛かったと思ったこと、もう入らないと思ったこと、血みどろであったこと、こんな処置どうやってみんな耐えているんだろうと思ったことだけを覚えいている。

処置が終わって、ふらふらになりながら、ベッドにうずくまり、お腹をなでながら、あこちゃんにどうか明日つるっと出ておいでと声をかける。この時点でも出すことに必死であった。